日中国交回復の歴史と今

日中国交正常化とは、1972年9月29日に北京で日中共同声明を発表して、日本国と中華人民共和国が国交を結んだことをいう。これにより、中華人民共和国建国23年を経て両国間の懸案となっていた正式な国交がない状態を解決した。
 1972年9月25日に、田中角栄内閣総理大臣が現職の総理大臣として中華人民共和国の北京を初めて訪問して、北京空港で出迎えの周恩来国務院総理と握手した後、人民大会堂で数回に渡って首脳会談を行い、9月29日に「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)の調印式において、田中角栄、周恩来両首相が署名したことにより成立した。またこの日中共同声明に基づき、日本は中華人民共和国と対立関係にあり、それまで国交のあった中華民国に断交を通告した。

1972年9月29日北京での調印式 中央は田中角栄、その右の後ろ姿は周恩来

日中国交正常化交渉の経過

◆1972年9月25日:第一回会談
 田中首相は日本航空の専用機で北京空港に到着し、自ら中華人民共和国を訪問(ニクソン訪中から7ヶ月後)。同日午後から第1回会談を行う。日本側出席者は、田中首相、大平外相、二階堂官房長官、高島条約局長、橋本中国課長、栗山条約課長など8名。中国側出席者は、周恩来首相、姫鵬飛外相、廖承志会長、韓念龍外交部副部長、張香山顧問など8名。
 この席でまず共同声明の形で国交正常化を行うこと、中華人民共和国側が日米安保条体制を是認すること、日本側が日華平和条約を終了させることが確認された。夜の晩餐会では、周恩来首相は「双方が努力し、十分に話し合い、小異を残して大同を求めることで中日国交正常化は必ず実現できるものと確信します。」と挨拶、一方田中首相は「過去に中国国民に多大なご迷惑をおかけしたことを深く反省しますと挨拶した。
◆1972年9月26日:第二回会談
 午前中の外相会談で「戦争状態の終結」「国交回復三原則」「賠償請求の放棄」「戦争への反省」の4点に関する基本的な見解を提示。午後の首脳会談で周恩来首相から前夜での「御迷惑」発言と午前中の高島条約局長の「日華平和条約との整合性」発言で厳しく指摘を受けた。これを受けて夕方に日本側からの提案で急遽外相会談が開かれ、「台湾は中国の一部」とする中華人民共和国側に対して「不可分の一部であることを再確認する」「この立場を日本政府は十分に理解し、ポツダム宣言に基づく立場を堅持する旨の案を提示した。
◆1972年9月27日:第三回会談
 27日午前中は万里の長城などへ見学、夕方から首脳会談を行った。前日の厳しいやり取りから一転して穏やかな雰囲気で始まった。全般的な外交問題や政策についてが話題となり、中ソ間のことも話題となった。また尖閣列島について田中首相から出されたが周首相から「今、話し合っても相互に利益にはならない」として、それ以前のまだ正常化に向けて残っている案件の処理を急ぐこととなった。
 夜に田中首相・大平外相・二階堂長官の3氏は毛沢東の私邸を訪ねて、この時に毛主席から「もうケンカは済みましたか」という言葉がかけられた。この日の深夜に外相会談が開かれて、戦争責任について「深く反省の意を表する」という表現で、戦争状態の終結については「不正常な状態の終結」という表現にする案でまとまった。
◆1972年9月28日:第四回会談
 28日午前中は故宮博物館を見学。午後の首脳会談で、大平外相から日本と中華民国の関係について今回の共同声明が発表される翌日に終了すること。しかし民間貿易などの関係は継続される旨の発言があり、周首相は黙認する姿勢を示した。
◆1972年9月29日:第五回会談
 9月29日に日本国総理大臣田中角栄と外務大臣大平正芳、中華人民共和国国務院総理周恩来と中華人民共和国外交部部長姫鵬飛が「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)に署名し、ここに日中国交正常化が成立した。日本が第2次大戦後、戦後処理に関する国際文書の中で歴史認識を示し、戦争責任を認めたのはこれが初めてのことであった。

日本と中国の共同声明内容(1972.09.29)

日本国内閣総理大臣田中角栄は、中華人民共和国国務院総理周恩来の招きにより、千九百七十二年九月二十五日から九月三十日まで、中華人民共和国を訪問した。田中総理大臣には大平正芳外務大臣、二階堂進内閣官房長官その他の政府職員が随行した。
 毛沢東主席は、九月二十七日に田中角栄総理大臣と会見した。双方は、真剣かつ友好的な話合いを行った。
田中総理大臣及び大平外務大臣と周恩来総理及び姫鵬飛外交部長は、日中両国間の国交正常化問題をはじめとする両国間の諸問題及び双方が関心を有するその他の諸問題について、終始、友好的な雰囲気のなかで真剣かつ率直に意見を交換し、次の両政府の共同声明を発出することに合意した。
 日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
 日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。
一 日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。
二 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
三 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。
  日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場 を堅持する。
四 日本国政府及び中華人民共和国政府は、千九百七十二年九月二十九日から外交関係を樹立することを決定し た。両政府は、国際法及び国際慣行に従い、それぞれの首都における他方の大使館の設置及びその任務遂行のために必要なすべての措置をとり、また、できるだけすみやかに大使を交換することを決定した。
五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣 言する。
六 日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干 渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべ ての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
七 日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において 覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。
八 日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約 の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。
九 日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の関係を一層発展させ、人的往来を拡大するため、必要に応 じ、また、既存の民間取決めをも考慮しつつ、貿易、海運、航空、漁業等の事項に関する協定の締結を目 的として、交渉を行うことに合意した。

千九百七十二年九月二十九日に北京で
                     日本国内閣総理大臣  田中角栄
                     日本国外務大臣    大平正芳
                     中華人民共和国国務院総理  周恩来
                     中華人民共和国 外交部長  姫鵬飛

日中平和友好条約調印(1978.08.12)

日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約は、1978年8月12日、北京で日本国と中華人民共和国との間で締結された。一般に日中平和友好条約で知られる。1972年9月29日の日中共同声明を踏まえて、日本と中国の友好関係の発展のために締結された条約である。
 内容は1972年9月29日に国交回復した時の日中共同声明の文面を基本的に踏襲したものとなっている。
第1条で主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述され、第2条で反覇権を謳い、第3条で両国の経済的、文化的関係の一層の発展を述べて、第4条でこの条約の第三国との関係について記されている。国交回復から6年が過ぎてから平和条約交渉が妥結したのは、「反覇権」条項と「第三国」条項で最も論議を呼んだからである。
◇日中平和友好条約内容
 日本国及び中華人民共和国は、千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、  前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、国際連合憲章の原則が十分に尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。
 日本国     外務大臣 園田 直
 中華人民共和国 外交部長 黄  華
これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。
第一条
 1 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに 平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
 2 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和 的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
第二条
 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求める べきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対 することを表明する。
第三条
 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、 両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。
第四条
 この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。
第五条
 1 この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年 間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
 2 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十 年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。
以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。
千九百七十八年八月十二日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。
                    日本国のために     園田 直
                    中華人民共和国のために 黄  華

鄧小平が来日(1978.10.22~29日)

鄧小平の来日は、「中日平和友好条約」の批准書交換セレモニーに出席するためのものだったが、鄧小平氏にとっては中国近代化の大戦略を準備するための学習の旅でもあった。中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議の直前に実施されたこの旅の中で、中国の改革開放の総設計者である鄧小平氏は、改革開放の壮大な青写真を心に描き、中国をいかに発展させていくかを考えていた。
 鄧小平氏は、東京の記者クラブで記者会見を行い、高い注目を浴びた。記者会見には、共同通信・時事通信・ロイター通信・UPI通信・AP通信・AFP通信・DPA通信など有名通信社から400人余りの記者が駆けつけた。中華人民共和国の指導者が「西欧式」の記者会見を行ったのはこれが初めてだった。
 中国の近代化に関する質問を受けた鄧小平氏は、実務的で開放的で率直な自らのスタイルを西側記者らに示し、「我々は、今世紀末までの近代化実現を掲げている。そこでいう近代化とは、その頃(20世紀末)の世界の水準に迫った近代化を指す。世界は飛躍的に発展しており、その頃の水準、例えば日本のその頃の水準は、現在の水準を超えたものとなっていることだろう。我々にとっては、日本や欧州や米国の現在の水準に達するだけでも容易ではない。22年後の水準に達するのはさらに困難だ。我々はその困難をはっきりと認識した上で、このような遠大な志を立てた」と答えた。
 鄧小平氏は、近代化を実現するための心得として、「正しい政策を作るには、学ぶことがうまくなければならない。そうすれば、海外の進んだ技術と管理方法を我々の発展の起点とすることができる。まず必要なのは、我々が遅れていることを認めることだ。遅れていることを素直に認めれば、希望が生まれる。次に、学ぶことがうまくなければならない。今回日本を訪れたのも、日本に教えを請うためだ。我々は全ての先進国に教えを請う。第三世界の貧しい友人たちが培ってきた価値ある経験にも教えを請う。このような態度・政策・方針に基づいてこそ、希望を持つことができる」と語った。
 鄧小平氏は、遅れていることを認めることの必要性について、「容貌が醜いのに美人のようにおしゃれしてはいけない」とユーモアに富んだ表現でこれを説明し、会場に笑いを巻き起こした。記者たちは、このような率直な態度こそ中国再興の希望のありかだと納得した。
 鄧小平氏は訪日中、日本社会党・公明党・民社党・新自由クラブ・社会民主連盟・共産党の野党6党の代表と会い、15分間の懇談の席を持った。鄧氏は懇談中、秦の始皇帝の命を受けた徐福が不老長寿の薬を探すために日本に渡ったという故事を思い出したためか、ふと話題をかえ、「日本には不老長寿の薬があると聞いている。今回の訪日の目的は、第一に、批准書を交換すること。第二に、日本の古き友人たちの努力に感謝を示すこと。第三に、不老長寿の薬を探すことだ」と語り、会議室を笑いで満たした。鄧氏はさらに、「つまり、日本の豊かな経験を求めるために来たのだ」と楽しげに付け加えた。鄧氏の話は各党代表のユーモアを誘い、薬に関する話題で会議室はひとしきり盛り上がったという。
 8日間の訪日期間中、鄧小平氏は時間を作り、新日鉄・日産・松下の3社を見学した。新幹線で東京から関西方面に向かう途中、感想を聞かれた鄧氏は、「速い。とても速い。後ろからムチで打っているような速さだ。これこそ我々が求めている速さだ」「我々は駆け出す必要に迫られている」「今回の訪日で近代化とは何かがわかった」と語った。
 新日鉄の君津製鉄所を見学した鄧小平氏は、工場の設備や技術について詳しくたずね、日本の進んだ生産と管理の経験をそこで研修する中国人労働者に紹介してほしいとの希望を口にした。同じように進んだ工場を中国にも建てたいという鄧氏の決意を示すものとなった。この決意こそ、その後の上海宝鋼での中日協力実現を促した。
 松下電器への訪問時、電子レンジなどの新製品の展示室を鄧小平氏が見学した際にも印象的な一幕があった。松下の案内員が電子レンジの機能を説明するため、一皿のシューマイを加熱して鄧氏に見せた。鄧氏は突然、シューマイをつまんで口に放り込み、「なかなかおいしい」と感想を述べたのだ。松下の従業員らもこれには驚き、何でも試してみるという鄧氏の精神を称賛した。
 鄧小平氏の訪日後、中国には「日本ブーム」が沸き起こった。多くの視察団が日本に赴き、多くの日本人の専門家や研究者が中国に招かれた。中日政府のメンバーによる会議も相次いで行われた。官民の各分野・各レベルの交流は日増しに活発となり、経済・貿易・技術での両国の協力は急速に発展した。
                         「人民網日本語版」2008年12月3日

新幹線に乗車した鄧小平

平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言(1998.11.26)

平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言は、1998年11月26日、江沢民中華人民共和国の国家主席と小渕恵三首相が発表した共同文書である。
 1998年11月江沢民は、ロシアに続いて日本を訪れた。中華人民共和国元首の訪日は初めてのことであった。しかし、江沢民は、「日本の軍国主義の清算はまだ徹底していない」との理解と信念のもと、東京でのあらゆる機会を捉えて歴史認識についての対日批判を展開したため、江沢民の言動は、多くの日本人の失望と反発を招いた。
 長江大水害で江沢民の訪日が3カ月近く延期されたことが思わぬ結果をもたらした。というのも10月の金大中韓国大統領訪日の際の日韓共同宣言に「植民地支配」および「韓国国民への痛切な反省と心からのお詫び」が明記され、中国側が日中の新共同宣言でも同じような表現を強く求めたからである。
 これに対し日本側は、1972年の日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明で「深い反省」をすでに表明したことを理由として、日中共同宣言に「謝罪」の文言を入れることを拒んだ。日本政府にすれば、中国との間では「お詫びの問題」はすでに解決済みの問題であったのである。
結局、本「日中共同宣言」には、「日本側は、・・・過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。」となり、「心からのお詫び」は小渕恵三首相が首脳会談で述べて終わった。
 しかし他方、江沢民訪日の具体的成果は内容豊富であった。日中共同声明と平和友好条約に続く日中間の第三の重要文書として日中共同宣言が発せられ、「平和と発展の友好協力パートナーシップ」を構築して地域と世界にともに貢献することがうたわれた。そして、協力強化に関する共同プレス発表において、年に一回の指導者の相互訪問や政府間ホットラインの敷設、第4次円借款の後2年分の供与(3900億円)とそれへの中国側の謝意、新幹線などについての日中協力促進が発表された。また日中二国間の事項のみならず、朝鮮半島問題や多角的貿易体制、東アジア経済問題等の国際分野においても協力することが合意された。

温家宝総理来日(2007.04,11)

温家宝中華人民共和国国務院総理は、日本国政府の招待に応じ、2007年4月11日~13日まで公賓として日本を公式訪問した。温家宝総理は、日本滞在中、安倍晋三内閣総理大臣と会談を行いまた天皇陛下に謁見し、国会において演説を行い、日本の各界の人々と幅広く接触を行なった。その中で以下のことを確認している。
1)日中双方は、日中共同声明、日中平和友好条約及び日中共同宣言の諸原則を引き続き遵守することを確認した。
2)双方は、歴史を直視し、未来に向かい、両国関係の美しい未来を共に切り開くことを決意した。台湾問題に関し、日本側は、日中共同声明において表明した立場を堅持する旨表明した。
3)双方は、2006年10月の安倍総理訪中の際に双方が発表した「日中共同プレス発表」に基づき、「共通の戦略的利益に立脚した互恵関係」(以下「戦略的互恵関係」という。)の構築に努力し、また、日中両国の平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展という崇高な目標を実現することを再確認するとともに、「戦略的互恵関係」の構築に関し、以下の共通認識に達した。
4)双方は、「戦略的互恵関係」の構築のため具体的な協力を行うことを決定した。
5)双方は、東シナ海問題を適切に処理するため、以下の共通認識に達した。
  (1)東シナ海を平和・協力・友好の海とすることを堅持する。
  (2)最終的な境界画定までの間の暫定的な枠組みとして、双方の海洋法に関する諸問題についての
     立場を損なわないことを前提として、互恵の原則に基づき共同開発を行う。
  (3)必要に応じ、従来よりハイレベルの協議を行う。
  (4)双方が受入れ可能な比較的広い海域で共同開発を行う。
  (5)協議プロセスを加速させ、本年秋に共同開発の具体的方策につき首脳に報告することを目指す。
6)双方は、「中国における日本の遺棄化学兵器の処理に関する日中連合機構」の設立に対して歓迎の意を表明した。また、日本側は、中国側の提案を踏まえ、廃棄のプロセスを加速するため、移動式処理設備を導入して作業を進めていくことを表明し、中国側はこれを歓迎した。
7)中国側は、温家宝総理の日本訪問期間中における日本側の心のこもった友好的な接遇に対し、感謝の意を表明した。

温家宝首相来日2007.04.11

暖春之旅 胡錦濤国家主席来日(2008.05.06)

2008年5月6日(火)、中国の国家主席胡錦濤が来日した。中国の国家主席が来日したのは1998年に江澤民が日本訪問して以来10年ぶりである。これまで日本政府は、小泉政権時代、靖国問題で日中間の関係が硬直し、“政冷経熱時代”と言われていた。しかし、安倍政権そして福田政権に変わり徐々に、この関係が崩れ、今回の国家主席の日本訪問が実現した。中国で駐在した経験から言えば、お互い国同士の政府関係が悪くなると、駐在している日本人は、いろんな意味で本当に気まずくなることであった。私としても今回のことは大賛成であり、大変嬉しいことだと思っている。
 今回の胡錦濤国家主席訪日以前に、先ず、安倍首相が2006年10月に訪中したことから、両国の転機が訪れたのであると言ってもよい。今回の訪日実現に向け2007年12月29日に、福田首相は中国訪問を行っており、日中関係回復に向け行動していた。これを中国では“迎春之旅”と評している。その後、温家宝首相が2008年3月に来日しており、胡錦濤国家主席来日に関する調整を行っていたのである。これを中国では“融氷之旅”と評している。
 今年は中日平和友好条約締結後30周年を迎える節目でもあった。胡錦濤国家主席訪日の行動予定は、報道機関では公表されておらず、東京と大阪に来る話だけであった。しかし来日する日の報道で、天皇陛下や福田首相と会談し、両国の戦略的互恵関係発展に向けた文書や気候変動に関する共同文書を取りまとめるほか、民主党など各政党代表との会談、早稲田大学での講演、横浜中華街の視察、奈良、大阪訪問などを予定し10日、大阪から専用機で帰国する予定であると知った。
 胡金濤国家主席は、来日する前、北京で日本訪問について、「ちょうど春の花が咲く時期でもあり、『暖春之旅』と言える。日中双方の努力によって成果を得たい。両国民の友好関係が、常に暖かくあることを切に願う」と述べたことを報道している。
 私はこの時期、5月5日から9日まで大連へ出張していたので、大連の宿泊先ホテルで毎朝、テレビで新聞報道(日本語ではTVニュース報道)を見ていた。中央電視台(CCTV)の新聞伝播番組が毎朝、胡錦濤国家主席の日本訪問について報道していた。
 胡錦濤国家主席は、訪日最終日の5月10日午前、劉永清夫人と共に奈良県を訪れ、あいにくの雨の中、世界遺産である法隆寺、唐招提寺、平城京跡を視察した。唐招提寺は、かの鑑真和尚が宗教の教えを伝授させるため、中国から6回目の日本行きでやっと実現し、奈良に建立した由来がある。午後は、大阪府門真市の松下電器産業本社を訪問し、中村邦夫会長、松下正幸副会長、大坪文雄社長らが出迎えている。胡錦濤国家主席は5月10日夕方、訪日の全スケジュールを消化し、大阪伊丹空港から中国北京へ帰国した。
◇中国外交部楊部長が語った胡錦濤国家主席の訪日成果は、以下の通りであった。
「胡錦濤主席の今回の訪日は、内容が豊富であった。実務的かつ効果的であり、実り豊かな成果を収めた」。その具体的な成果について、以下の四つを挙げた。以下は関連サイトから引用している。
1)今回の訪問は、日中関係発展の未来図を描き、方向を示すことに成功した。
 訪問期間中、双方が「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する中日共同声明」に署名した。この文書は、これまでの署名された三つの政治文書を基礎に、日中関係の新しい局面に基づいて、両国関係発展の指導的な原則を確定した四つ目の重要な政治文書となる。また、双方は共同声明において、互いが協力のパートナーであり、互いに脅威とならないこと、互いの平和的な発展を支持すること、対話と交渉を通じて、両国間の問題を解決すること、ハイレベルな往来と政治面の交流を強化すること、安全防御分野で引き続き対話と交流を展開することなどを確認した。
2)経済貿易分野における協力を強化し、日中関係発展の経済的基盤を強固なものにすることが示された。
 胡錦濤主席は「日中両国は、互いに最も重要な経済貿易のパートナーの一つであり、お互いに長所を発揮し、短所を補い、両国の経済貿易の飛躍を実現すべきだ。そのうち、省エネと環境保護分野での協力は最も重要である」と強調している。
3)人的交流を強化し国民感情を増進し日中関係の社会的基盤を強固なものにすることが約束された。
 胡錦涛主席は「日中友好は両国人民の友好である。両国人民の相互理解と友情を深める一番効果のある方法は、文化交流や人的交流を拡大することだ」と指摘した。早稲田大学での講演で、胡錦濤主席は、「日中友好の未来は、両国の青少年が切り開くものだ。皆がともに努力し、日中友好の種を撒いて、日中友好が世々代々続いていくことを希望する」と述べている。
4)地域および国際事務における共同認識を深め、協力を強化することが示された。
 胡錦涛主席は「アジアの振興には、日中両国の協調と協力が必要である」と述べている。双方は、開放、透明、寛容の原則に則って、東アジアの地域協力を促進し、「平和、繁栄、安定、開放」に基づくアジアの構築をともに推進していくことで合意した。
 このほか、双方は、気候変動への対応と環境保護分野での協力の強化について意見を一致させ、気候変動に対応する共同声明も発表している。最後に、楊部長は「胡錦濤主席の今回の『暖春之旅』は、日中の戦略的互恵関係の新しい局面を切り開き、多大な成果を収めた。日中関係の前途は、きっと明るいと信じている」と語った。

20018年5月胡錦濤国家主席来日

「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する中日共同声明
(2008年5月7日)

胡錦濤中華人民共和国主席は、日本国政府の招待に応じ、2008年5月6日から10日まで国賓として日本国を公式訪問した。胡錦濤主席は、日本国滞在中、天皇陛下と会見した。また、福田康夫内閣総理大臣と会談を行い、「戦略的互恵関係」の包括的推進に関し、多くの共通認識に達し、以下のとおり共同声明を発出した。
1.双方は、中日関係が両国のいずれにとっても最も重要な二国間関係の一つであり、今や中日両国が、アジア太平洋地域及び世界の平和、安定、発展に対し大きな影響力を有し、厳粛な責任を負っているとの認識で一致した。また、双方は、長期にわたる平和及び友好のための協力が中日両国にとって唯一の選択であるとの認識で一致した。双方は、「戦略的互恵関係」を包括的に推進し、また、中日両国の平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展という崇高な目標を実現していくことを決意した。
2.双方は、1972年9月29日に発表された中日共同声明、1978年8月12日に署名された中日平和友好条約及び1998年11月26日に発表された中日共同宣言が、日中関係を安定的に発展させ、未来を切り開く政治的基礎であることを改めて表明し、三つの文書の諸原則を引き続き遵守することを確認した。また、双方は、2006年10月8日及び2007年4月11日の日中共同プレス発表にある共通認識を引き続き堅持し、全面的に実施することを確認した。
3.双方は、歴史を直視し、未来に向かい、中日「戦略的互恵関係」の新たな局面を絶えず切り開くことを決意し、将来にわたり、絶えず相互理解を深め、相互信頼を築き、互恵協力を拡大しつつ、中日関係を世界の潮流に沿って方向付け、アジア太平洋及び世界の良き未来を共に創り上げていくことを宣言した。
4.双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した。双方は、互いの平和的な発展を支持することを改めて表明し、平和的な発展を堅持する中国と日本が、アジアや世界に大きなチャンスと利益をもたらすとの確信を共有した。
(1)日本側は、中国の改革開放以来の発展が日本を含む国際社会に大きな好機をもたらしていることを積極的に評価し、恒久の平和と共同の繁栄をもたらす世界の構築に貢献していくとの中国の決意に対する支持を表明した。
(2)中国側は、日本が、戦後60年余り、平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段により世界の平和と安定に貢献してきていることを積極的に評価した。双方は、国際連合改革問題について対話と意思疎通を強化し、共通認識を増やすべく努力することで一致した。中国側は、日本の国際連合における地位と役割を重視し、日本が国際社会で一層大きな建設的役割を果たすことを望んでいる。
(3)双方は、協議及び交渉を通じて、両国間の問題を解決していくことを表明した。
5.台湾問題に関し、日本側は、中日共同声明において表明した立場を引き続き堅持する旨改めて表明した。
双方は、以下の五つの柱に沿って、対話と協力の枠組みを構築しつつ、協力していくことを決意した。
(1)政治的相互信頼の増進
双方は、政治及び安全保障分野における相互信頼を増進することが中日「戦略的互恵関係」構築に対し重要な意義を有することを確認するとともに、以下を決定した。
 ◎両国首脳の定期的相互訪問のメカニズムを構築し、原則として、毎年どちらか一方の首脳が他方の国を訪問することとし、国際会議の場も含め首脳会談を頻繁に行い、政府、議会及び政党間の交流並びに戦略的な対話のメカニズムを強化し、二国間関係、それぞれの国の国内外の政策及び国際情勢についての意思疎通を強化し、その政策の透明性の向上に努める。
 ◎安全保障分野におけるハイレベル相互訪問を強化し、様々な対話及び交流を促進し、相互理解と信頼関係を一層強化していく。
 ◎国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力するとともに、長い交流の中で互いに培い、共有してきた文化について改めて理解を深める。
(2)人的、文化的交流の促進及び国民の友好感情の増進
双方は、両国民、特に青少年の間の相互理解及び友好感情を絶えず増進することが、中日両国の世々代々にわたる友好と協力の基礎の強化に資することを確認するとともに、以下を決定した。
 ◎両国のメディア、友好都市、スポーツ、民間団体の間の交流を幅広く展開し、多種多様な文化交流及び知的交流を実施していく。
 ◎青少年交流を継続的に実施する。
(3)互恵協力の強化
双方は、世界経済に重要な影響力を有する中日両国が、世界経済の持続的成長に貢献していくため、以下のような協力に特に取り組んでいくことを決定した。
 ◎エネルギー、環境分野における協力が、我々の子孫と国際社会に対する責務であるとの認識に基づき、この分野で特に重点的に協力を行っていく。
 ◎貿易、投資、情報通信技術、金融、食品・製品の安全、知的財産権保護、ビジネス環境、農林水産業、交通運輸・観光、水、医療等の幅広い分野での互恵協力を進め、共通利益を拡大していく。
 ◎中日ハイレベル経済対話を戦略的かつ実効的に活用していく。
 ◎共に努力して、東シナ海を平和・協力・友好の海とする。
(4)アジア太平洋への貢献
双方は、中日両国がアジア太平洋の重要な国として、この地域の諸問題において、緊密な意思疎通を維持し、協調と協力を強化していくことで一致するとともに、以下のような協力を重点的に展開することを決定した。
 ◎北東アジア地域の平和と安定の維持のために共に力を尽くし、六者会合のプロセスを共に推進する。また、双方は、日朝国交正常化が北東アジア地域の平和と安定にとって重要な意義を有しているとの認識を共有した。中国側は、日朝が諸懸案を解決し国交正常化を実現することを歓迎し、支持する。
 ◎開放性、透明性、包含性の三つの原則に基づき東アジアの地域協力を推進し、アジアの平和、繁栄、安定、開放の実現を共に推進する。
(5)グローバルな課題への貢献
双方は、日中両国が、21世紀の世界の平和と発展に対し、より大きな責任を担っており、重要な国際問題において協調を強化し、恒久の平和と共同の繁栄をもたらす世界の構築を共に推進していくことで一致するとともに、以下のような協力に取り組んでいくことを決定した。
 ◎「気候変動に関する国際連合枠組条約」の枠組みの下で、「共通に有しているが差異のある責任及び各国の能力」原則に基づき、バリ行動計画に基づき2013年以降の実効的な気候変動の国際枠組みの構築に積極的に参加する。
 ◎エネルギー安全保障、環境保護、貧困や感染症等のグローバルな問題は、双方が直面する共通の挑戦であり、双方は、戦略的に有効な協力を展開し、上述の問題の解決を推進するために然るべき貢献を共に行う。
                  中華人民共和国主席  日本国内閣総理大臣
                    胡錦濤(署名)   福田康夫(署名)
                           2008年5月7日 東京